孝明天皇御親拝鬼子母尊神像を納めた長持
 江戸幕末期、激動する国内外の難局に対応するため、天皇家と幕府が協力し合い「公武合体」と云う方針が生じました。 その一環の動きとして、将軍家より尊崇されていた遠壽院の表堂奉安の鬼子母尊神像が、 東海道を幕府警護のもと大行列で京に上り、京都御所禁裏において当時の孝明天皇、また後の明治天皇となる睦仁親王が尊神を御親拝になられました。
その結果、「天拝尊神」号を賜ることとなりました。 この京都出開帳は、文久元(一八六一)年と慶応二(一八六六)年の二度に渉り行われました。 また、この出開帳と共に孝明天皇の御妹内親王である和宮様が十四代将軍・徳川家茂公に降嫁する段取りも進められました。 ここに展示の「長持」は、京都御所出開帳の際、尊神様を納めるために使用されたものです。「長持」の家紋は、出開帳のための実質的な動きをした旗本・水野家の家紋です。 合掌  この『長持』は現在当院の表堂に展示しております。開門時間は午前9時~午後4時です。ぜひ足をお運び頂き、ご見学ください。 当山交通案内
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