「伝 阿弖流為 母禮之塚」除幕式参列(2007年3月4日(日))
大阪府枚方市にある片埜神社に隣接した牧野公園にて、「阿弖流為(アテルイ)母禮(モレ)の塚」除幕式があり、住職並びに信徒が参列しました。
今から1200年前、時の征夷大将軍 坂上田村麿(さかのうえのたむらまろ)が、東北地方の蝦夷を攻めた時、首長の阿弖流為(アテルイ)、副首長の母禮(モレ)は捕虜として、この地に連れて来られ、この場所で処刑されました。以降、首塚として伝わって来ておりました。
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☆☆☆遠壽院との由来☆☆☆
荒行の開祖、遠壽院第3代住職「日久上人」(江戸初期)は、坂上田村麿の子孫を名乗っていました。そのため「日久上人」は祖先である坂上田村麿による蝦夷の人々に対する所業を悲しみ、蝦夷の人々の供養塔を遠壽院境内に建立なされ、その縁で今回の除幕式に参加することとなりました。
また今回の供養塚除幕にあたり、田村麿開基の寺である京都清水寺の「森清範貫主」も、この式典に主賓として参列されました。
1200年の時を経て、「坂上田村麿」と蝦夷の「阿弖流為(アテルイ) 母禮(モレ)」の因果が晴れて成就した場所に、遠壽院住職が参列したということは、不思議な仏縁でありました。
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