2013年10月12日(土)
◆ご挨拶
本日はお忙しい中、第一回稽古の会公開演示会&シンポジウムにお運びくださいまして誠にありがとうございます。
昨今の風潮を見て参りますと、ボーダーレス、均一性といったコトバが無条件で賛美されているようです。誰でもできる、とっつきやすいものが歓迎され、修練の必要なもの、特に『型』というものの導く『道の文化』に魅力を感じる方が少なくなって参りました。
このようなゆゆしい文化の衰退に警鐘を鳴らし、もういちど『型』を通じた修業道を興隆させたいと念じて『稽古の会』は結成されました。
それぞれの分野で活躍する『継承者』の皆さんが、日々錬磨する技術をお見せすると同時に、その伝承にまつわる心情を吐露し、未来を見据えた意見交換をする貴重な文化交流のひと時を、皆様とご一緒できますことは、大変意義のあることだと考えております。
飾ることの無い、しかし説得力のある技で、縁のある皆さまの心眼に一陣の涼風を巻き起こすことができましたら関係者一同この上ない喜びでございます。
稽古の会発起人一同 謹言
当日の様子が市川ケーブルTVのニュースで放送されました。
今、わたしたちは巨大な砂嵐の中を生きている。
価値・認識の多様化と再編集が行われ、世界を繋ぐインターネット網は、多地域、多分野間の壁を光の速さで取り払いつつある。自由競争原理はグローバル化を推し進め、誰もが平等に社会に参画しているという夢を見ることが可能になった。
しかし、理想世界が出現したかのような光明の陰には、もう一つの闇の貌があることを忘れてはならない。
たび重なる天変地異、原発事故などの未曾有の人災疫病、貧富の拡大、家庭の空洞化、政情不安など、内憂外患押しよせる寄る辺無き現状は、社会の合理化、効率のみを追い求めた科学の過剰発展とも無縁ではないだろう。
砂漠を行く旅人は、嵐の到来を最も忌避するという。今を生きる私たちも、勇気を持って立ち止まり、本当に人間らしく生きて行くには何が必要で何が不要か自らの内なる声に問いただす刻限を迎えている。
ここに古くて新しい道-『型』を携え、自らの心身を賭して時代を切り開かんと、日夜呻吟する求道者たちがいる。博物館に陳列される黴臭い資料ではなくまた好事家の弄する自己満足の旦那芸でもない、伝統がなぜ時代を越えて命脈を保ち得たのかを身を以て示し得る現代の継承者たちである。
その力有る息吹は、人としての尊厳をよみがえらせ現代社会というモノノケの持つ毒に汚染された心身を清め、癒しの副音をもたらしてくれるだろう。
果たして、伝承されてきた『型』とは何なのか?それは如何にして歴史を越え、今ここに存在しているのか?そしてそれは私たちに何を訴え、何を残すのか?迷走を続ける私たちの魂を安寧の境地へと導くともし火に、それは成り得るのだろうか?
『稽古の会』と銘打ったこの試みは。3名の伝統心身技法の継承者による競演と鼎談という形を借りた、人間性への賛歌であり、歴史を貫く精神に捧げる御幣(みてぐら)でもあるのだ。
文:伊藤志燕(ライター)
●演者:パネリスト紹介
戸田日晨
(Nisshin Toda)
日蓮宗僧侶
遠壽院日久上人伝授の祈祷相伝を格護する根本道場・正中山遠壽院荒行堂修法傅師
脈々36代、唯授一人の祈祷修法の奥義を受け継ぐ存在
中村如栴
(Nyosen Nakamura)
インドの詩聖タゴールも学んだ壺月遠州流禪茶道宗家、NPO法人 壺月遠州流禪茶道宗家4世兼理事長、茶の湯文化学会会員
武士の所作を髣髴とさせる独特の茶風を継承する
伊与久松凬
(Matsukaze Iyoku)
武道家 内丹研究家
中国張派姜氏門内家拳4代伝承人
日本姜氏門内功武術研究会・太極健身学舎・琉球武道研究会主催兼最高師範 太和館道場館長
●司会進行・
コーディネーター
斎藤隆裕
(Takahiro Saitou)
東京衛生学園 中国医学研究所治療センター長
鍼灸らせん堂院長
流派・演者紹介・・・遠壽院流祈祷修法・・・傳師 戸田日晨
概説
正中山遠壽院は「根本御祈祷系授的傳加行所」と称され、また「荒行堂」とも通称されるように正中山修法の相伝を使命とする加行道場をして、約四百年の伝統と歴史を有する、日本仏教界でも特異な寺院である。
日蓮聖人に深く帰依して檀越(だんのつ)となった富木(とき)常忍は、文応元年(1260)、館の傍らに一宇を建立して妙連山法華寺と号した。そして、弘安五年(1282)、日蓮聖人の入滅後に出家して日常と名のり、法華寺の法灯を継いだ。当時、同じく有力な檀越であった太田乗明もまたその館を改めて本妙寺と号したが、乗明の遷化に伴い、日常上人が本妙寺に移り、両寺一主の制を定め、寺号を本妙法華経寺として中山門流の中心となった。その後、元徳三年(1331)、三代日祐上人のときに両寺が合併して正中山法華経寺と号した。
流派・演者紹介・・・壺月遠州流禪茶道・・・宗家 中村如栴
概説
茶道のルーツを訪ねれば、鎌倉時代の臨済宗の栄西禅師。源実朝の時代にいたる。当流のルーツを遡ればそれは当然千宗易(利休)であるが、織田信長、古田織部、小堀遠州、三代将軍徳川家光と武家に伝わる茶道である。
本郷 潮泉寺の住職 青柳貫孝(かんこう)宗匠(1894年-1983年)が、茶道遠州流顧問小宮山宗正師に師事。師である大正の大徳 大僧正渡邊海旭(かいぎょく)師(号 壺月)(1872年-1933年)のご指導に基づいて当世乱れがちになっていた茶の湯の改革を計り、原点に帰った茶風を打ち立てた。簡素を旨とする武家の茶道である。茶の湯における禅茶道を徹底、余計なものは排して仏道に合致せしめ、壺月遠州流禪茶道宗家を打ち立てた。
東洋初のノーベル文学賞受賞者ラビンドラナート・タゴール (Rabindranath Tagore 1861 年 – 1941年)は先々代家元、渡印における弟子である。
茶風
深山の渓流の如く、緩急自在に流れる水をもって、当流の茶風となすものである。簡素をもって旨とするのが武家の茶道であるから、当流の茶道は、飾らない、気取らない、そのままの姿で行う茶道である。加えて当流には、点前に男女なく、貴賎なく、茶道具の拝見もない。戦国の世に生まれた武士(もののふ)の茶道ゆえに、現代という乱世に生きる我々に適合する。即ち人々に癒しと生命力を与える茶道である。
流派・演者紹介・・・姜氏門内功武術・・・傳人 伊与久松凬
概説
悠久の歴史を誇る中国文明。その中でも一際、異彩を放つのが伝統の武術(功夫)といえよう。人体の構造を窮めた先人が、代々研究を重ね伝えてきた、緻密で効果的な運動文化の精髄がそこには見られる。
中華民国時代、国民党の武術家養成機関『中央国術館』の代表的名師 姜容樵(Jiang Rong Qiao ジャンロンチャオ)老師は、それまで秘密裏に伝えられてきた各派武術の秘伝を『天然之内功』のもと体系化し、太極拳、形意拳、八卦掌、秘宗拳、各種武器術、気功法をカバーする膨大な姜氏門内功武術体系を築いた。
姜師から全伝を受け継いだ嫡伝継承者、鄒淑嫻(Zou Shu Xian ゾウスゥシェン)老師は、先師終焉の地 上海に於いて、日中戦争、共産革命、文革など、幾多の困難を超えて90歳の今日に至るまで法灯を伝えてきている。その伝承は中国を超えて、世界各国にまで至り、特に日本の市川出身の伊与久大吾(松凬)は、筆頭弟子=拝師徒児として長野県に『錬誠館道場』を開設。多くの後進の健康増進に奉仕をしている。
拳風
『外錬筋骨皮・内錬一口氣』・・・内功武術は、その訓練体系において一般の運動とは大きく異なり、部分的鍛錬を否定する。大らかな全身の連動は一呼吸から始まり、全身に波及する開合・螺旋運動へと連なってゆく。徒手のみに非ず、刀、棍、剣、槍、奇門兵器に至る迄これに準ずる。
この連動力の道筋(勁道)を、正しい型によって導き出して行くことを以て、当流稽古の眼目とする。全心身を意に依って調えることを、型が道に達すると謂い、熟達するに従い、修行者は心身の真中に規矩の定点を得る。これを以て内丹を練り、天然之内功を得ることを武技上乗の功とする。