瑞門
行堂へ入る唯一の門で、1年のうちに開かれるのは入行と出行のときの二度だけである
鬼子母神堂(表堂)
信者への法楽加持など、祈祷に関する一切のことがここで執り行われる。明治後期に皇后陛下のご実家、正田家が筆頭勧進となり寄進された。
正面に掲げられている「荒行堂」の扁額は、江戸期文政2年(1819年)、越中富山藩9代藩主前田利幹(としつよ)公の揮毫によるものです。利幹公は法華の信仰が篤く、各地の日蓮宗寺院の外護丹精に尽くされました。
事悔聨(じげれん)
読経堂の中、祈祷本尊前の左右の丸柱に、この二句の偈文を刻んだ楠の対聨(たいれん)が掛けられている。
句は深草慧明日燈律師の作、書は江戸期の書聖巻菱湖の筆によるもので、行僧の心事を言い尽くしている。
【 右句 】
(読み)かんすいびゃくじゅくぼんこつまさにかれなんとす
(訳)厚い氷を砕いて清き水を満身に浴び、飛沫は凍って珠を結び、白粥は僅かに露命を支えるに過ぎない、ひびは全膚を裂いて、鮮血は白衣を染め、寒気髄に徹して身体は日々に衰え凡夫の肢体は幾度か死境に逝こうとするほど弱くなる。
【 左句 】
(読み)りざんじげ、しょうたいおのずからしょうず
(訳)我心を写し顕した御本尊を念じて、時折起こる罪悪は、本心の御本尊に背くことから生ずるのだと悟れば罪は跡形もなく消えてなくなることを理懺(りざん)と云う、身を以て篤く仏祖を礼し、口に御経を読み御題目を唱へ、罪を懺悔して改めることを事悔(じげ)と言う。此懺悔修行によって、真理を悟る智力を頂き、遂に御仏とちがわない浄い尊い姿と成ることを聖胎自生(しょうたいおのずからしょうず)と言う。
行僧面会所(入口外観と面会室)
行僧は面会時も荒菰の上に端座する。
読経三昧堂(内堂)
荒行願満鬼子母尊神が泰安されている。加行聖者たちは、ここで百日間、法華経読誦三昧に入る。左側に見える塀は水行堂。