仏教タイムズ(2013年2月28日掲載)
ジャーナリスト 藤田庄市氏の記事
共同通信 47NEWSの記事
共同通信の松森記者が当山の大荒行について記事にしております。
ぜひご覧ください。
100日間ひたすら続く水行、読経 命がけの「大荒行」とは
遠壽院は、日蓮聖人直授伝来、正中山正嫡の大秘法を相伝した三代日久上人によって集大成された修法伝書を、代々の住職が口訣相承する任を負ってきた。これによって当院は、遠壽院流祈祷修法の相伝所としても広く世間に知れ渡っている。
※100日行は天正十九年(1591年)より伝承されており、歴史と伝統を引継いでいる。
その撰法華経をはじめとする相伝書の量は膨大で、原本の巻軸二十七巻に及ぶ。大荒行として有名な、十一月一日から翌二月十日までの寒百日間にわたる行は、四百年来の伝法法式に則して行われる遠壽院流祈祷修法の相伝加行である。
行は、筑波おろしの吹きすさぶ厳冬のさなか、午前三時の初水から夜十一時の最後の水に至るまで、水行肝文を高唱して行う七回の水行をはじめ、すする白粥、まとう単衣の衣に至るすべてにわたり酷烈を極める。
起床は午前2時半。水行は3時、6時、9時、12時、15時、18時、23時と行われる。食事は朝5時半と夕方5時半の2回のみ。これ以外は全ての時間を膨大な量の法華経を、1日何百巻も読経し、撰法華経を写経し、相伝書の書写行も行う。
この大荒行が行われる行堂内の読経堂には、壇上高く荒行願満鬼形鬼子母尊神が安置されている。この本尊は、元禄年間に京都の仏師如水によって丹精を込められた一刀三礼の謹作で、文字どおり鬼形の相をした、六尺余りの威容をもつ像である。秘法の本尊として、一般には一切秘蔵となっている。
百日間にわたる行は、第一段の自行の行法、第二段の儀軌相承、第三段の木剱相承、第四段の口伝相承、と四段に分けられている。
第一段の自行の行法は、さらに秘妙五段に約され、一段を七日として三十五日間、もっぱら滅罪の祈りを捧げる。この間、面会は一切許されない。ひたすらに罪の意識を悔いて捧げるこの祈りが、すべてを信力で貫かんとする行僧の人格を築き上げる根本要素である。
第三段の木剱相承は年明けとともに始まる。剱は無明を切る大利剱であり、木剱に対する信念を不動のものとするため、行僧は全魂を打ち込んでこれを体得する。
【入口の石柱】
江戸期文政年間に建てられたもので「當山根本御祈祷系授的傳加行所遠壽院」と刻まれている。
【入行会】
11月1日、当院境内に整列した入行僧。鬼子母神堂(表堂)での入行式の後、瑞門から行堂へと入る。
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大荒行成満会酷烈を極めた百日間の大荒行も、二月十日の出行を迎える。この日は、京浜近在の檀信徒はもとより、遠く北海道や九州からも出迎えにきた信者で、境内はいっぱいとなる。朝、六時の二番水が済むと、全行僧は読経堂に入り、大尊神の御前に成満のあいさつをする。そして瑞門が開かれ、行僧の列は金棒を先導にして日久上人の廟へと進む。 瑞門が開き、撰法華経の金襴の軸を胸に掛けた行僧たちが出てくる。 日久上人の御廟前で成満の報告をする行僧たち。 祈祷法許授与式。出迎えの信者でいっぱいの境内と、成満を祝う色とりどりの旗。 この御廟前で成満の報告を済ませた後、初行僧も一人前の修法師として、教化の第一線で活躍する資格が得られたことになり、最初の法楽加持が一般の信者に対して行われる。その後満行式があり、伝師より祈祷法許が授与され成満会を終える。
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大祈祷会
大荒行を成満した行僧たちは、2月18日再び当院へ戻ってくる。
そして、鬼子母神へ無事に成満したことの報告を兼ねて水行する
節分会
当院の節分会は、大荒行中の行事となることから、各行僧の手元に集まった星祭申込みの祈念を修行する式となる。
各行代表者と檀信徒が年男となり、全行僧の修法で豆まきをする。
いかにも行堂らしい福不可量の追儺式である。