遠寿院

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天皇・皇后両陛下御退位に寄せて

 平成31(2019)年の4月から5月にかけて、天皇陛下から皇太子殿下に皇統譲位が行われます。
 
 遠壽院は皇后さまご実家本家である正田家の菩提寺でもあります。そのような関係上、美智子さまが当時の皇太子殿下(現明仁天皇)の元へお輿入れされるに当り、昭和33(1958)年12月11日に当山正田家墓所に墓参され、御先祖霊位に御婚儀の報告をされた、という経緯があります。

美智子様お墓参り美智子様お墓参り
皇室へお輿入れに当たり、墓参される美智子さま

当日の様子当日の様子
当日の様子

正田家のお墓への案内正田家のお墓への案内
正田家のお墓への道標

正田家のお墓正田家のお墓
正田家墓所

 正田家は群馬県館林市に総本家が有りますが、現皇后さまのお祖父さまである、故正田貞一郎氏が明治期に東京域に出られて「日清製粉」を創業し、今日に至っています。当時、御一家は法華経信仰に厚く、現遠壽院表堂(鬼子母神堂)を大正年間に再建した時、貞一郎氏は筆頭勧進としてご尽力頂いた経緯もあります。

棟札の表棟札の表
表堂上棟時の棟札(大正11年10月)

棟札の裏棟札の裏
棟札の裏側

棟札裏側の拡大棟札裏側の拡大
棟札裏側に「東京市小石川 正田貞一郎」の文字が読み取れる。

現在の表堂現在の表堂
現在の表堂

大正天皇祈祷札大正天皇祈祷札
大正天皇祈祷札

 
 また当時の遠壽院は、大正天皇の「宝祚長久(ほうそちょうきゅう)」の祈祷を定期的に修しており、その為に宮中から女官方が陛下の肌着等をご持参され、蔭祈祷をされていたということも有りました。

 現皇后さまの御身内の方が鬼子母神様に子宝成就の祈願をされ、御誕生になった、とのお話も伝わっておりますが、明治・大正と当山の檀越としてお寺の外護丹精に大きなご助力を頂いた正田家と皇室とは、その頃は何ら関わりがあった訳ではありません。しかし、その後、貞一郎氏のお孫さまである美智子さまが皇室に嫁がれるという不思議な御縁となり、感慨深いものが有ります。
 
 これも偏に幕末期の公武合体の動きの中、表堂鬼子母神様の京都出開帳が実施され、その際、宮中禁裏において孝明天皇が御親拝となり、その流れの中、和宮内親王さまが十四代将軍家茂公に降嫁され、江戸城(現皇居)に御輿入れになられたという歴史に連なる深い御仏縁を感じざるをえません。

当時の文書当時の文書

 京都御所禁裏において文久元(1861)年、孝明天皇が表堂鬼子母神様を御親拝となり、「天拝尊神」となった経緯が書かれた当時の文書。

当時の文書記述部分当時の文書記述部分
三行目に「遠壽院加行堂 鬼子母尊神」
の文字が読み取れる。

記述部分拡大記述部分拡大

 現在の正田家墓所には、貞一郎氏の実父である故正田作次郎様、また正田志ん儀ほか、ご家族の方々が埋葬、眠られており、当山にて丁重にお護りしております。
 
 日本人の精神文化の原点である「先祖を大切にする」という気持ちが、牽いては小は家庭から、大は御国の有り様にも大きな影響を持たらすことと信じます。その国民の規範となるのが皇室の方々のお姿だと思量致します。
 
 皇統譲位という我が国の「霊統継承」に関わる重要な慶事の祝年に当たり、正田家菩提寺住職として御当家先祖代々の追福作善と、益々のこの国の繁栄を心から祈り上げる次第であります。 合掌

平成30(2018)年11月22日
遠壽院住職・荒行堂傳師
戸田日晨 記す


≪2022年7月17日、写真を追加≫

昭和21年の加行僧

 第二次世界大戦終戦の翌年、昭和21(1946)年度の加行中、昭和22年2月8日、占領進駐軍関連一行による荒行堂堂内視察がありました。その目的は不明ですが、何らかの意図を考えると、日本統治の一環であることが想像出来ます。
 写真はその時に撮影されたもので、荒行堂内水行堂において「水行肝文」を唱える加行僧です。因みに同年昭和22(1947)年度の加行中、12月29日に初行僧54名の集団脱走事件が生じました。
LinkIcon集団脱走事件に関する記事はこちら


【附録】
昭和21年度、初行寮「加行日誌」
昭和22年2月8日の頁に進駐軍来堂についての記述がある。
加行日誌1
加行日誌2


≪2022年6月19日、写真を追加≫

美智子様お墓参りの様子美智子様お墓参りの様子


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