遠寿院

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第21回研修旅行

第21回修法研修旅行
琵琶湖多景島見塔寺を巡る
(2018年6月13日~14日)

2018年6月13日(水)

◎琵琶湖多景島見塔寺

 多景島は、弥生時代から島そのものがご神体として崇められていた。ある晩、長浜妙法寺の住職であった日靖上人は夢の中で仏菩薩が修行している島の光景を見た。その島は多景島であることを突き止め、彦根藩三代藩主・井伊直澄公から支援を受け、そこに霊夢山見塔寺を建立した。
 
 直澄公からは彦根城の裏鬼門の祈願寺としての役目も与えられた。
 
 多景島には、元禄五年から三年の歳月をかけ、日靖上人自らお題目を刻まれた天然の巨石がある。また、春秋お彼岸の中日のご来光は、日蓮聖人誕生の地・小湊から昇り、富士山山頂、七面山随身門、見塔寺お題目岩、出雲大社上空を一直線に結び、釈尊誕生の地・インドへと向かう。

多景島多景島

多景島多景島

2018年6月14日(木)

「村雲御所瑞龍寺門跡」

 開山は文禄五年(1596)、豊臣秀吉の姉君、瑞龍院日秀尼(俗名、羽柴智子)が高野山にて割腹して果てた次男、秀次の菩提を弔うために建立した。
 
 日秀尼は夫が他界したのを契機に本圀寺の空竟院日禎上人について、日夜、唱題行に励んだ。やがて、後陽成天皇の耳にまで達し、京都村雲の地と瑞龍寺の寺号、さらに寺録一千石を賜り、菊御紋使用が許され、村雲御所と呼ばれるようになった。
 
 寛永二年(1625)、徳川家光より客殿の寄進があり隆盛を極めたが、天明の大火により焼失した。九世日尊尼の代に、二十八年にわたり庫裡、表書院、番神堂などが再建された。
 
 八幡城跡への移転は十一世日浄尼の代、昭和三十六年から始まり、しばらく無住の時代が続いたが、昭和四十三年に十二世日英を迎え、復興を果たした。


村雲御所瑞龍寺門跡

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